サークル「デュオメトルスフェロトゥールビヨン」のブログです。
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さて、劇場版『ハーモニー』は暴力的なまでに恋愛映画になっていた。
恋愛映画としての『ハーモニー』。
SFの色々なことに関して色々言いたいことはあったけど、わたしは恋愛映画としての『ハーモニー』には概ね満足している。なにせ、小説のふたりは、愛しているとも言えなかったし口づけすることもできなかった。円盤は買うしかない。
一方で評価が割れているは事実だ。
SF的な設定や説明のわかりやすさについて、どうにかならなかったのか、というものも多いけど、最も多いのは主にトァンの最後の台詞について、そしてふたりの口づけのシーンだろうと思う。
どうしてこんなに評価が割れているんだろう。
口づけに関しては、
「百合やレズを知っていたり楽しんでいたりしても、精神的なつながりの描写としてキスを使う創作物に慣れているかどうか」
だと思う。
ああいう体を使った慰め合いとか精神のつながりというものは、ないわけじゃないけどそんなに大量に出回っているというわけでもない。
だから、わたしも劇場で混乱した。「いつものミァハに戻るの早すぎやしないか」、といった感じに。
しかし、「どうしてミァハが口づけしまくってるか」についての説明は、めがねさんという方の説明を拝読して納得したし、切なくなった。是非読んでみて欲しい。きっとあの口づけが別のものに見えるだろう。
(「映画版ハーモニーのパンフレット読んだり、設定を妄想したりした(6000字あります)」内の「2。ミァハと身体性」)
さて、次はトァンだ。
トァン、トァントァントァン。
「どうしてトァンは『愛してる、ミァハ』と言ったのか」。
そう思っているひとが多いだろうから、この記事の大部分は、それを説明する文章になる。
その理由について、まずはトァンの関係を隠喩も交えて整理する。
初めて3人が描写されるシーンで、ミァハは水の中に飛び込み、心配したふたりのうちトァンが水の中に引っ張り込まれる。舞台挨拶でミァハ役の上田さんが言っていたことの受け売りだけど、このシーンは『ハーモニー』全体でミァハがまずはじめに何かアクションを起こして、それにトァンが振り回される、ということを示している。
名刺のシーンの後、ミァハがトァンに口づけする。トァンはろくな抵抗をしていない。トァンがミァハに惚れたという描写はないから、いちおう「トァンはミァハとつるんでいるうちになんか好きになっちゃったんだな」というのがわかる。
次はこのシーンだ。
なぜ人は何かを書くと思う。
さあ。
文字は残る。もしかしたら永遠に。永遠に近いところまで。
このシーンでは、ミァハがけっこう楽しそうにブランコを漕ぐ。トァンが「ミァハの意識が消失した」と聞き動揺して立ち上がると、そのブランコを思い出させるかのように電球がぷらぷら揺れ、「ミァハは恍惚だと言った」ではトァンが見た不機嫌そうなミァハの写真とは逆に、ミァハは笑っているであろう姿で椅子に座っている。
次に水の中に入るのは河原で本を燃やすシーンの次で、今度はふたりで肩を並べて川の中に入っていく。水に入るシーンはないけど、この時点でトァンの運命が決まっていたんだろう。御冷ミァハの影を追う者として。
そして、最後のバンカーのシーンでは、燃やされた本と滴った水ですごくわかりやすく河原を再現し、ミァハが「お父さんが死んだのは仕方なかった」というとトァンは「どうしてそんなに明るい顔していられるの」と言いたげに照明をぶっ壊す。ブランコから引きずり下ろすように。
トァンは「これも多分通過儀礼なのだろう」とかなんとか言って水たまりの中に進んでいく。水の中に入るのに、もはやトァンはミァハの意志を必要としていない。「トァン行こう、ハーモニーの世界へ」でミァハは手を伸ばすけど、その手がふれたあと引っ張りこむのはトァンだ。
立場が逆転している。
かつてのミァハは
・ハーモニーを拒絶していて、
・いつもつまらなさそうにしていて、
・話し相手はトァンとキアンしかいなかった。
トァンはそんなミァハに憧れていて、成績もミァハの後を継いで髪も伸ばし、13年経った今でも戦場まで酒とタバコをやりにいく。
ところが今はどうだ。ミァハは
・ハーモニープログラムのボタンが押されることを認めていて
・とても楽しそうにステップを踏んで、
・トァンとキアン以外にも、ミァハを「イデオローグ」と慕う者がいる。
トァンはというと、「かつてのミァハ」をずっと追っていたけど、目の前にいるのは「理屈上もう愛せないミァハ」だ。声も見かけもかつてのミァハとあまり変わっていなくても。
ここで突然だけどハーモニープログラムが絡んでくる。
ハーモニープログラムが起動すると、WatchMeが意識を消し飛ばしてくれる。そして意識がなくなると、すべての行動が自明になる。自明であるということは、合理的に物事を判断するということだ。これもヌァザとの会話で語られていた。
ここでトァンがミァハを殺さなかったらどうなるだろう。
トァンがミァハを連れ帰ると、確実にWatchMeがふたりの意識を消し飛ばす。まあその場合普通に考えてミァハは死刑とかになるだろうけど、あの世界の法律とかそういうのはよくわからないので、トァンの感情に絞る。
するとどうなるか。
じつは、ハーモニープログラムの環境下ではトァンはミァハを愛せなくなる。
だってかつて愛していたミァハが持っていた魅力が今のミァハにはないし、今のミァハは6000人超を自殺に追いやったテロリストだ。合理的に考えて、愛する理由が存在しない。
トァンは意識がなくなれば、そうなることがわかっていた。
だが意識があるトァンは、そうしたくなかった。たとえミァハが変わってしまっても、トァンは13年間ずるずる引きずってきた愛を手放すことができなかったし離したくもないと思っている。
だって、にんげんだもの。
トァンは、ミァハを嫌いになんてなりたくなんてなかった。合理的に愛せなくても愛してしまう、それが意識があるということだ。
そういうわけで、トァンは引き金を引く。
「あなたの望む世界は、実現してあげる。
だけどそれをあなたには、与えない」
「昔わたしが憧れていたあなたのままでいて」
「愛してる、ミァハ」
と。
以上が、トァンが「愛してる、ミァハ」と言った理由になる。
小説でも、6回ほど読んでみたけど最後の台詞以外は実はそんなに変わっていない。
もしこの説明で納得できないのなら、無理にこの説明に賛同したり納得したことにする必要はない。
だって、合わないものは合わない。仕方ない。
さて、どうしてトァンがああ言ったのかに関して説明したけど、まだ続きがある。
どうしてトァンがミァハを撃ったのか。
ここで、トァンの目線に立ってみると、だいたい5つの選択肢があるのがわかる。
①ここで死ぬ。ミァハへの愛は消えない。
②ここでミァハだけを殺す。ミァハへの愛は消えない。
③ここでミァハを殺して自分も死ぬ。ミァハへの愛は消えない。
④ミァハを連れて帰り法の裁きを受けさせる。ミァハへの愛を消される。
⑤なにもせず帰る。ミァハも自分も死なない。ミァハへの愛を消される。
こ5択のうち、④、⑤は論外だ。
ミァハを愛せないという選択肢は、この状態のトァンにはあえりえない。
消去法で、①から③のどれかになる。
トァンはひとまず②を選んだ(なんで③ではなく②なの、っていう方は冒頭や小説をどうぞ)。
どうして②なんだろう。
ここから先は想像になるし、小説その他を読んでいなければまずわからないことなので、あんまりまじめに読まなくてもいい。
理由はふたつあると想像できる。
ひとつは法に裁かせるくらいならわたしが撃ちたい、とトァンが思ったということ。
そしてもうひとつは、ミァハがそう誘導したということ。
ひとつめはけっこう普通だ。
でもふたつめはよくわからないし確固たる証拠がない。
これは、ヴァシロフが残した「あんたになら、教えてもいいと言われている」という言葉に、どうにもひっかかるというのがある。
なにせ相手はトァンだ。13年前に会ったことがあるとはいえ、酒とタバコを手に入れるために戦場にまで行くような元親友が何をしてくるか、普通ならちょっと予想するのは難しい。普通なら。
じゃあどうして教えたのか。
想像できることがいくつかある。
まずこのシーン。
「中国人たちは皇帝が替わると、その歴史を記した巻物を全部燃やしたの。新しい歴史が書けるように」
ミァハはタンクの口に蓋をしながらそう言った。へえ、そうなんだ。わたしはいつもの相槌をうつ。ミァハの言葉に相槌をうつのは気持ちがよかった。まるで、ミァハがわたしの体に何かを書き込んでくれるかのように感じたから。
〈中略〉
なぜ人は何かを書くと思う。
さあ。
文字は残る。もしかしたら永遠に。永遠に近いところまで。
そして、伊藤計劃が〈WALK第57号〉にこんな文章を残している。
そう、こう言ってもいいだろう。
魂が存在するのは、物語を紡ぐためだと。
人間の脳は、現実を物語として語り直すために存在するのだと。
人はだれでも一冊の本が書ける、という謂がある。
それは、人は誰もがひとつのフィクションであるからだ。
われわれの意識は、魂は、現実をひとつの物語として記憶するために存在している。そして、いったん物語として記憶された現実は、当人の生のみならず、他者への生へも波及し、影響を及ぼしていく。母の作る朝食の味すらひとつの物語であり、舌はその物語を受けとめて個人の一部となる。
〈中略〉
人は死ぬ。しかし死は敗北ではない。
かつて、ヘミングウェイはそう言った。ヘミングウェイにとっての勝ち負けが何だったのか、寡聞にしてわたしはそれを知らないが、その言葉が意味するところは理解できる。人間は物語として他者に宿ることができる。人は物語として誰かの身体の中で生き続けることができる。そして、様々に語られることで、他の多くの人間を形作るフィクションの一部になることができる。
ミァハは、死を敗北にしたくなかったのではないか。トァンの中に、あるいはトァンが語る物語から、誰かの中で生き続けたかったのではないか。ミァハが読んでいた本のように、永遠に近いところまで。
つまり『ハーモニー』は3人の物語なんかではなく、ミァハがトァンを誘導して書かせた自伝なんじゃないか、と思っている。
「まるで、ミァハがわたしの体に何かを書き込んでくれるかのように感じたから」。
ミァハは、わたしというものが書き込まれに書き込まれたトァンなら自分を記録してくれると確信していたのだろうか。
さっきのめがねさんの記事で、ミァハが口づけするという行為は「自らの体の領域を確認する行為」で、わたしはそうだろうなあと納得している。
もしかしたらミァハは、トァンがそれほどまでに身体の一部だから、行動原理もなにもかも理解していたのかもしれない。自分が殺されるであろうことも、自分の記録を残してくれるかもしれないということも。それほど理解できてしまうトァンになら、殺されてもいいなと思っていたかもしれない。
そういう解釈でいくと、ミァハの最後の笑みは、自分の思惑通りに何もかもが上手くいったことで出た笑みだろうか。それとも、トァンに殺されることに安堵した微笑みだったのだろうか。
これ以上はもうわからないし、ここらでそろそろ想像力の限界だ。というか最後の方はずいぶん怪しい感じの文章になってしまった。宴もたけなわ、このへんでおいとましよう。
さよなら。
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