サークル「デュオメトルスフェロトゥールビヨン」のブログです。
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東方projectのキャラクターに『古明地こいし』というキャラがいる。
彼女は心と意識と感情を失い、無意識の赴くままにあっちにいったりこっちにいったりしている、らしい。
わたしは今、その古明地こいしに想いを馳せている。といっても恋愛感情とかそういうものではなく、「おそらく貴女の世界とは見ているものは違うでしょうが、お互い変な世界を見ておりますなあ」といった感じだ。
心と意識と感情の境界やその曖昧さについて、あいにくわたしには詳しくないけれど、『感情の起伏が少なくなくなる』という、不思議な体験をしている。現在進行形で。
なので、この記事を読んだ創話者のみなさんが感情のないキャラクターなどを描く際、この経験が役に立てば幸いだと思う。
うつ病だかうつ状態だかを発症したのは三週間ほど前のことだ。突然体が重くなって動けなくなり、これは心がやられたと思って精神科に駆け込んだ。うつ状態を調べるテストでは50点満点中42点。うつ状態であるという20点にダブルスコアをつけていて、わたしは薬を処方してもらい、即座に仕事を休んだ。
で、ここ数週間、精神科とカウンセリングを行ったりきたりしているのだが、ここ数日になって、感情というものがフラットになった。
ここでいうフラットというのは、「部屋でぼうっと天井を眺めている」という状態に近い。たとえば献立なににしようとか、あれやらなきゃな、これやらなきゃな、あーめんどくさい、という状態なのだが、あの妙にゆったりしているようなけだるいような感じから、けだるいものを抜いたような感覚だ。
たとえば、うつ状態の間にわたしを煩わせていた不安が出てくることもある。しかしそれは一瞬のことで、その後すぐ思考がシャットアウトされて、またフラットになる。
ただ、こういった「不安に対して思考がフラットになる」という現象は、無意識が考えるのを避けているからなのではないか、という感じがする。
「客観的に見て」楽しいこと、面白いことが起こると、体が笑う。あるテレビ番組で流れたダジャレがあるのだけれど、それが流れたとき、横隔膜が動き、顔が笑顔を作っているのがわかった。
しかし、楽しいとか面白いとかいう感覚がごっそり抜け落ちていた。ネット上でバズった「人間は特定の感情に対して、血液が体のここにこう集中する」という画像を見たことがあるだろうか。体が笑った時、あの「血液が集まる感覚」を、全く感じることができなかった。
それに対して、あれ、今のって本当に面白いと思ったのか、と疑って少し不安になるものの、まあうつのせいだろう、という思考が即座に働いてフラットになる(実際、この症状はうつの症状らしい)。
悲しむべきことなのに悲しめないこともある。夢への情熱もフラットになってしまった。
わたしは恥ずかしながら22に初めて小説家になるという夢を持ち、25の今も一応小説家を目指しているのだが、今その情熱がフラットになってしまった。
そのことに対する悲しみや混乱が生まれるはずなのに、それもフラットで、悲しみがないことに対して悲しんだり怒ったりする、なんてこともあるはずなのに、天井を眺めるようなフラットな状態は維持されたままだ。こちらは無意識に恐怖や不安や悲しみを避けているのか、そういうことは判然としない。
なんというか、異常だ。異常だ、という若干の恐怖と焦燥感もすぐにフラットになるから、じきになんともなくなるのはとてもありがたいことだとわかる。だがありがたいとは思わない。理屈でありがたいと思ってもありがとうという気持ちはわいてこない。
まとめると、意識と無意識はかろうじてつながっているが、そのふたつの距離が遠くなり、感情はそれ以上に遠ざかっているような感覚だ。
この文章を書いている間にも、なにも感じないような感じがする。今わたしのイヤホンから流れている音楽も素晴らしいということはわかるけど、以前「いいなあ」と思っていたように、胸のあたりがわくわくするような、高ぶるような気持ちがない。脳のどこかがどこかとつながっていないんだろうか。ただ「この精神状態を文章にしておくのは価値があるから文章にしておこう」という意識が働いているから書いている。
伊藤計劃の『虐殺器官』という小説で、「意識はある、ないの二択ではなく、薄くなったり濃くなったりしている」という会話がある。
もしかすると、ひとことに「意識」といっても色々な分野があるのかもしれない、と思ったけど、精神医学には詳しくないのでこのへんにしておく。
書くことがなくなったので、この手の話の資料になりそうな話をする。
『意識いつ生まれるのか』とかいう本で引用されていたのだけれど、その引用元は忘れてしまった。雑誌だったと思う。
1,000人ほどにひとりあたりの割合で、全身麻酔があまり効かず、手術の途中で目が覚めてしまう人がいるという。これを術中覚醒といい、人為的なミスはともかく、適正な量の全身麻酔を投与しても手術中に覚醒してしまう人がいて、PTSDになることもある。
麻酔科医自身の術中覚醒体験記では、「これはとても怖くて腹立たしいことなのに、怖くて腹立たしいということがわかっても怖くて腹立たしいという気持ちにはならなかった」とかいうことが書かれていた気がする。全身麻酔には感情を押さえる働きもあるのだという。
伊藤計劃も、抗ガン剤によって感情か意識がなくなったとかいう話をしている。それが小説『ハーモニー』の執筆に大いに影響を与えた。
さて、資料すらもうない。そういうわけで、これからの古明地こいしという幻想少女の話をしよう。
東方に詳しくない人はここでブラウザバックしてもいい。
古明地こいしは「覚(さとり)妖怪」という、誰であろうと心を見抜いてしまう妖怪だったが、覚妖怪である彼女はそれゆえに大いに嫌われて、心とか意識とか感情というものを捨て去った、という少女である。
その過程はいかなるものだったかの詳細は公式には語られていない。
そういうわけで、古明地こいしの心を閉ざす話は東方で話を書く人間なら誰しも挑戦してみたい題材であるが、今回の件を迎える前にわたしが考えていた、「古明地こいしが心を閉じる話」のパターンは、以下のふたつであった。
1,自分の第三の目にナイフをつきたてたり、第三の目につながっている6本のコードのうち4本をちぎったりするという、こいしの意識によって意識などをなくす選択をした。
2,あまりのストレスによって、気がついたら意識がなくなっていた。
わたしの今の状態はうつ状態がそうしているんですよ。カウンセラーはそういった。
だから、こいしがうつ状態を経て今の彼女になったというのは考えられそうな話ではある。
だが、今回のわたしが「この状態、薬のせいなのでは」と疑ったことにより、急速に浮上したものがある。それが以下だ。
3,何者かの医療行為により意識を消した。
古明地こいしには姉の古明地さとりがいる。こいしが苦しんで苦しんで苦しみぬいている間、さとりはなにもしなかっただろうか。たぶん、何かしたと思う。
今の古明地こいしは心を閉ざしていて、姉のさとりでも考えを読むことはできない。だが閉ざす前は、その苦しみを覚ることができたはず。誰かに助けを求めたりしてもおかしくはない。
また、彼女は意識を持っていないというが、それは意識というものがすごく薄くなっているだけであって、何かのきっかけで濃くなったしているのではないか、とも思い始めた。
今のところ、わたしの頭の中でこれ以上この話は膨らんでいないけれど、誰かの創作の助けになれればうれしいだろうなという気がする。ただ、この話が助けになりました! という言葉をいただいても、喜びがすぐフラットになるのが予想できてしまって、どうしたものか、と捕らぬ狸の皮算用をしている。
彼女は心と意識と感情を失い、無意識の赴くままにあっちにいったりこっちにいったりしている、らしい。
わたしは今、その古明地こいしに想いを馳せている。といっても恋愛感情とかそういうものではなく、「おそらく貴女の世界とは見ているものは違うでしょうが、お互い変な世界を見ておりますなあ」といった感じだ。
心と意識と感情の境界やその曖昧さについて、あいにくわたしには詳しくないけれど、『感情の起伏が少なくなくなる』という、不思議な体験をしている。現在進行形で。
なので、この記事を読んだ創話者のみなさんが感情のないキャラクターなどを描く際、この経験が役に立てば幸いだと思う。
うつ病だかうつ状態だかを発症したのは三週間ほど前のことだ。突然体が重くなって動けなくなり、これは心がやられたと思って精神科に駆け込んだ。うつ状態を調べるテストでは50点満点中42点。うつ状態であるという20点にダブルスコアをつけていて、わたしは薬を処方してもらい、即座に仕事を休んだ。
で、ここ数週間、精神科とカウンセリングを行ったりきたりしているのだが、ここ数日になって、感情というものがフラットになった。
ここでいうフラットというのは、「部屋でぼうっと天井を眺めている」という状態に近い。たとえば献立なににしようとか、あれやらなきゃな、これやらなきゃな、あーめんどくさい、という状態なのだが、あの妙にゆったりしているようなけだるいような感じから、けだるいものを抜いたような感覚だ。
たとえば、うつ状態の間にわたしを煩わせていた不安が出てくることもある。しかしそれは一瞬のことで、その後すぐ思考がシャットアウトされて、またフラットになる。
ただ、こういった「不安に対して思考がフラットになる」という現象は、無意識が考えるのを避けているからなのではないか、という感じがする。
「客観的に見て」楽しいこと、面白いことが起こると、体が笑う。あるテレビ番組で流れたダジャレがあるのだけれど、それが流れたとき、横隔膜が動き、顔が笑顔を作っているのがわかった。
しかし、楽しいとか面白いとかいう感覚がごっそり抜け落ちていた。ネット上でバズった「人間は特定の感情に対して、血液が体のここにこう集中する」という画像を見たことがあるだろうか。体が笑った時、あの「血液が集まる感覚」を、全く感じることができなかった。
それに対して、あれ、今のって本当に面白いと思ったのか、と疑って少し不安になるものの、まあうつのせいだろう、という思考が即座に働いてフラットになる(実際、この症状はうつの症状らしい)。
悲しむべきことなのに悲しめないこともある。夢への情熱もフラットになってしまった。
わたしは恥ずかしながら22に初めて小説家になるという夢を持ち、25の今も一応小説家を目指しているのだが、今その情熱がフラットになってしまった。
そのことに対する悲しみや混乱が生まれるはずなのに、それもフラットで、悲しみがないことに対して悲しんだり怒ったりする、なんてこともあるはずなのに、天井を眺めるようなフラットな状態は維持されたままだ。こちらは無意識に恐怖や不安や悲しみを避けているのか、そういうことは判然としない。
なんというか、異常だ。異常だ、という若干の恐怖と焦燥感もすぐにフラットになるから、じきになんともなくなるのはとてもありがたいことだとわかる。だがありがたいとは思わない。理屈でありがたいと思ってもありがとうという気持ちはわいてこない。
まとめると、意識と無意識はかろうじてつながっているが、そのふたつの距離が遠くなり、感情はそれ以上に遠ざかっているような感覚だ。
この文章を書いている間にも、なにも感じないような感じがする。今わたしのイヤホンから流れている音楽も素晴らしいということはわかるけど、以前「いいなあ」と思っていたように、胸のあたりがわくわくするような、高ぶるような気持ちがない。脳のどこかがどこかとつながっていないんだろうか。ただ「この精神状態を文章にしておくのは価値があるから文章にしておこう」という意識が働いているから書いている。
伊藤計劃の『虐殺器官』という小説で、「意識はある、ないの二択ではなく、薄くなったり濃くなったりしている」という会話がある。
もしかすると、ひとことに「意識」といっても色々な分野があるのかもしれない、と思ったけど、精神医学には詳しくないのでこのへんにしておく。
書くことがなくなったので、この手の話の資料になりそうな話をする。
『意識いつ生まれるのか』とかいう本で引用されていたのだけれど、その引用元は忘れてしまった。雑誌だったと思う。
1,000人ほどにひとりあたりの割合で、全身麻酔があまり効かず、手術の途中で目が覚めてしまう人がいるという。これを術中覚醒といい、人為的なミスはともかく、適正な量の全身麻酔を投与しても手術中に覚醒してしまう人がいて、PTSDになることもある。
麻酔科医自身の術中覚醒体験記では、「これはとても怖くて腹立たしいことなのに、怖くて腹立たしいということがわかっても怖くて腹立たしいという気持ちにはならなかった」とかいうことが書かれていた気がする。全身麻酔には感情を押さえる働きもあるのだという。
伊藤計劃も、抗ガン剤によって感情か意識がなくなったとかいう話をしている。それが小説『ハーモニー』の執筆に大いに影響を与えた。
さて、資料すらもうない。そういうわけで、これからの古明地こいしという幻想少女の話をしよう。
東方に詳しくない人はここでブラウザバックしてもいい。
古明地こいしは「覚(さとり)妖怪」という、誰であろうと心を見抜いてしまう妖怪だったが、覚妖怪である彼女はそれゆえに大いに嫌われて、心とか意識とか感情というものを捨て去った、という少女である。
その過程はいかなるものだったかの詳細は公式には語られていない。
そういうわけで、古明地こいしの心を閉ざす話は東方で話を書く人間なら誰しも挑戦してみたい題材であるが、今回の件を迎える前にわたしが考えていた、「古明地こいしが心を閉じる話」のパターンは、以下のふたつであった。
1,自分の第三の目にナイフをつきたてたり、第三の目につながっている6本のコードのうち4本をちぎったりするという、こいしの意識によって意識などをなくす選択をした。
2,あまりのストレスによって、気がついたら意識がなくなっていた。
わたしの今の状態はうつ状態がそうしているんですよ。カウンセラーはそういった。
だから、こいしがうつ状態を経て今の彼女になったというのは考えられそうな話ではある。
だが、今回のわたしが「この状態、薬のせいなのでは」と疑ったことにより、急速に浮上したものがある。それが以下だ。
3,何者かの医療行為により意識を消した。
古明地こいしには姉の古明地さとりがいる。こいしが苦しんで苦しんで苦しみぬいている間、さとりはなにもしなかっただろうか。たぶん、何かしたと思う。
今の古明地こいしは心を閉ざしていて、姉のさとりでも考えを読むことはできない。だが閉ざす前は、その苦しみを覚ることができたはず。誰かに助けを求めたりしてもおかしくはない。
また、彼女は意識を持っていないというが、それは意識というものがすごく薄くなっているだけであって、何かのきっかけで濃くなったしているのではないか、とも思い始めた。
今のところ、わたしの頭の中でこれ以上この話は膨らんでいないけれど、誰かの創作の助けになれればうれしいだろうなという気がする。ただ、この話が助けになりました! という言葉をいただいても、喜びがすぐフラットになるのが予想できてしまって、どうしたものか、と捕らぬ狸の皮算用をしている。
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劇場版『ハーモニー』の感想記事を書く傍ら、書くスペースがなかった、映像内で見つけた小ネタを載せときます。
・冒頭、手をかざしたトァンの後ろで咲いているひまわり。見つけただけでも四本が下を向いている。自殺する子どもたちみたいだと思った。
・ニジェールでのトァンの部屋のシーン、よく見ると椅子にピンク色のクッションが敷かれている。かわいいなおい!
・空港のアナウンス、実は「ひとりはみんなのために、みんなはひとりのために。わたしたちは公共の資源 です」とかなんとか言っている。
・あの名刺のマークは、実は英語版ハーモニーの表紙が元になっている。映画では三人が手を繋いでいた。
・キアンが死んで「自殺者主観映像データベース」を見る傍ら、トァンが「また置いて行かれてしまった」と窓の外を見ているシーン。3羽いた鳥のうち1羽だけが画面外に出て行ってしまう。
ひとまずこんなところで。
・冒頭、手をかざしたトァンの後ろで咲いているひまわり。見つけただけでも四本が下を向いている。自殺する子どもたちみたいだと思った。
・ニジェールでのトァンの部屋のシーン、よく見ると椅子にピンク色のクッションが敷かれている。かわいいなおい!
・空港のアナウンス、実は「ひとりはみんなのために、みんなはひとりのために。わたしたちは
・あの名刺のマークは、実は英語版ハーモニーの表紙が元になっている。映画では三人が手を繋いでいた。
・キアンが死んで「自殺者主観映像データベース」を見る傍ら、トァンが「また置いて行かれてしまった」と窓の外を見ているシーン。3羽いた鳥のうち1羽だけが画面外に出て行ってしまう。
ひとまずこんなところで。
十一月二日 米澤穂信講演会in中央大学
こんにちは。urlです。
中央大学の米澤穂信先生の講演会に行ってきました。レポートです。
長いかもしれない。
まず、講演会前の「サイン会整理券争奪戦」がすごかった。「50人」という人数は一橋大学の講演会を経験している身としては「絶対にえらいことになるな」と思っていたのだけれど、えらいことどころじゃなかったのです。
40分ほど前に会場前の下見に行ったところ、集まっている人のあまりの多さに悪寒が走りました。「これはまずい」とツイッターで落ち合った人たちと話しつつ、会場前のいくつかの広場で待機していたんですが、私達がいた1つの広場だけで40人くらいはいたと思います。
定員が急遽50人から100人になったというアナウンスはツイッター上でありましたが、それでも「受付開始しまーす」という言葉と同時に、会場前どっと人がおしよせて、長い長い行列ができました(それだけで定員割れしたかどうかは不明だけど、とんでもない人出でした)。
この時列が折り返していたため、振り返ると列の長さがよく分かる位置にいたのですが、そこでボソッと「後ろ向きになっちゃだめだ」とつぶやいたところ、紅さんが「そうだね、振り返ると絶望しちゃう」と仰っていました。いやあの、物理的なことを言ったんじゃないです。気持ち的なことを言ったんです。
なんとか整理券をゲットして、四人で並んで座ります。時間が経つにつれて席がどんどん埋まっていき、「すみません、みなさん机や椅子の上に荷物を置かないで下さい!」という注意が出るほど会場は一杯になりました。広さとしては一橋大学の時の講堂の二倍かそれ以上くらいあったと思うのですが、それをほぼ満席にしてしまうほどの人出でした。すげえ。そしていよいよ2時になります。
さあ、始まるザマスよ。
こんにちは。urlです。
長いタイトルの通り、
早稲田大学読書マラソン新人コメント大賞及び相沢沙呼先生トークイベント&サイン会
に行って来ました。全部を一行にまとめると長い。
で、もちろん内容も長いので、「続きはこちら」からどうぞ。
長いタイトルの通り、
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に行って来ました。全部を一行にまとめると長い。
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性別:
男性
自己紹介:
東方創想話にて活動中。
『教授限定シリーズ』は最終回を迎えました。
ありがとうございました。
現在色々執筆したいんですが、忙しくてなかなか手が出せていません。
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『教授限定シリーズ』は最終回を迎えました。
ありがとうございました。
現在色々執筆したいんですが、忙しくてなかなか手が出せていません。
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